誕生日を知らない女の子

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最近読んで、考えこんでしまった本。

「誕生日を知らない女 の子―虐待-その後 の子どもたち」
  黒川祥子著
  集英社発行

新聞の書評欄でこの本のことを知ったので、図書館に予約した。私の後ろにも50人の人がこの本を待っている。

読みながら自分が知らないことがこんなにたくさんあるのか、と思いながら付箋をはっていった。
その結果がこの写真。

多くの人に読よんでほしい本、といってもいい。とりわけ子どもの教育に関係する人は読むべき、と私は思う。
目次を見てみよう。

 はじめに
 第一章 美由 ー 壁になっていた女の子
   第二章 雅人 ー カーテンのお部屋
 第三章 拓海 ー 「大人になるって、つらいことだろう」
 第四章 明日香 ー 「奴隷でもいいから、帰りたい」
 第五章 沙織 ー 「無条件に愛せますか」
 おわりに
 参考文献

「はじめに」を読み始めて、知らないことが多すぎる、と思った。
第一章から第四章は、ファミリーホームで生活する子ども、第五章は大人になった被虐待児が母親になってからの取材が中心になっている。
ここには本の詳しい内容は書かない。
自分で読んで、考えていく本だと思う。

ここでは、私が全く知らなかったことを書いてみたい。
「社会的養護」という言葉。

本には多くのデータが紹介されているが、インターネット上に厚生労働省の「社会的養護の現状」(平成26年3月)があったので、そのデータをもとに表にしてみた。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/syakaiteki_yougo/dl/yougo_genjou_01.pdf 

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 「保護者のない児童、被虐待児など家庭環境上養護を必要とする児童などに対し、公的な責任として、社会的に養護を行う。対象児童は、約4万6千人」と説明があった。
里親、ファミリーホーム、は「家庭養護」と分類され、それ以外は「施設養護」といわれる。しかし、施設養護の中でも、家庭的な環境での養護を追求した「グループホーム(地域小規模児童養護施設)」「小規模グループケア」は「家庭的養護」と言われている。

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圧倒的に施設養護の子どもたちが多い。国は家庭養護、家庭的養護の比率を高めていく方向だ。
この本で私がメモしたことは、
第一章では、「乖離」「居場所」
第二章では、「愛着障害」「虐待と発達障害の関係」
第三章では、「被虐待児の学校などでの受け入れ体制」
第四章では、「親の子への愛が無償というが、子の親への愛が無償なのではないか」
第五章では、「育児に自分の体験がフラッシュバックするという悲劇」

障害児の増加

この表は、先ほど紹介した厚生労働省の資料からとったもの。
「社会的養護を必要とする児童においては、障害等のある児童が増加しており、児童養護施設においては23.4%が、障害ありとなっている」と書かれている。
「誕生日を知らない女の子」によると、
―「杉山医師は「あいち小児」の臨床で、生まれつき発達障害でなくても、虐待を受けることで発達障害のような状態を呈するということを「発見」した。その「発見」の上に立ち、子ども虐待を「第四の発達障害」と位置づける。
それは虐待により大脳の様々な領域に機能障害が引き起こされることで、不注意で行動のコントロールが困難という「ADHD」的な行動や、先の見通しを立てることが難しく、その場しのぎの行動に出るなど、一見「広汎性発達障害」のように見えることもあるという。
虐待は「障害」という深刻なダメージを子どもにもたらすのだと知って、驚きだった。心の傷に軟膏を塗れば一件落着という、これまでの自分の甘い認識がくずれ、立ちすくむような思いだった。
何よりも驚いたのは、虐待は脳全体の成長に影響をおよぼすということだ。それが脳画像診断によって明確に確認されると聞いた時には、耳を疑った。

そのメカニズムについて、杉山医師は著書「発達障害のいま」でこう述べる。
「進化論的に考えてみると、子どもが愛着形成に大きな問題を生じる環境とは、サバイバルが厳しい、過酷なものがある。すると共感性など発達させていては生き残っていけない。そこで、おそらくホルモン動態などの変化によるエピジェネティクス(遺伝子の配列を変えずに遺伝情報の活性に変化を引き起こす過程)が生じ、いくつかの遺伝子のスイッチが入って、脳の器質的な変化が生じるのであろう」
子どもへの虐待そのものが、子どもの脳に器質的な変化を与え、広範な育ちの障害をもたらし、発達障害と言わざるをえない状態を作り出すー。虐待とはどれだけ残酷で過酷な結果をもたらすのだろう。(P104)」―

「虐待は子どもの脳に器質的な変化をもたらし、画像診断でもわかる」ということを知って、大変なショックだった。

ではどういう理由で子どもたちは社会的養護を受けるようになったのだろう。その理由も同じ資料にあった。 措置の理由1「父母の虐待」「父母の放任怠惰」「父母の養育拒否」「父母の精神障害」「父母の拘禁」など文字と数字だけを見てみると、なんと親の身勝手さ、と思ってしまう。

さらに「誕生日を知らない女の子」によると、
―「2013年7月25日発表の厚生労働省のデータによれば、2011年度、虐待により死亡した子どもは99人、そのうち、心中を除くものが58人、その前年度は98人の子どもがなくなり、心中以外の数は51人。虐待の末に多くの子どもが殺されているのも紛れもない事実だ。」―

もうため息しか出てこない。
この子どもたちに救いはあるのか。

その取り組みをすすめているのが、社会的養護で努力されている人々と関係の機関。
この本では「家庭養護」の取り組み、ファミリーホームの努力が丁寧に書かれている。読んでいて頭がさがる。
読んでいて私の心に残った言葉、
◎「虐待被害に遭いながらも、良い施設や里親さんに恵まれて、治療も進んだ、自分 の努力でがんばってちゃんと生きている人もいっぱいます」
◎「希望へと向かう「分かれ道」は、どこにあるのか。
 この里親の女性が明快に応えた。
 「根っこが張れる場所が、あるかどうか」
 根っこ、それは存在の根幹だ。信頼できる人間に包まれる。安心できる場所。それ こそ「本来の家庭」だ。
◎「子どもには希望がある。この子たち、たくさん夢がつまっているの。どんな子で も希望があり、輝かせるものをいっぱい持っている。それを大人がつぶしてはいけ ない。輝かせることができるかできないかは、大人の責任」
◎ある男性指導員は、児童養護施設はこんな場所であってほしいと話す。
 「僕が実家に帰るのと同じように、嫌なことがあってもここに帰ってくれば安心な んだ、と感じ取れる場所にしてあげたい。人に頼れる、人が裏切らない。人が自分 の見方になってくれることを体験できる場所でありたい。見守ってくれる大人が入 ることを感じ、困ったときに『助けてね』といえる子になるのが一番だと思ってい ます。」
◎主治医から言われた言葉が忘れられない。
「五歳までに受けた傷であれば、意識の中ですり替えることができます。まさとくんに 楽しい思い出をこれから一緒に作ってあげて、大きくなった時に、「あの時、沢井 さん(里親さんのこと)と楽しかったね」と、たくさん言えるようにしてあげてく ださい」

読んでいて胸のつまる思いもしたが、そこで必死に生きる子どもたち、そして子どもたちに手をさしのべる大人たちがいることにはげまされる。
私はいったい何をしてきたのか、何ができるのか。考えこんでしまうだけではいけない、と今は思う。

 

 

 

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