夜間中学校は学びの原点

あべのハルカスのすぐそばに、大阪市立天王寺中学校がある。その敷地に夜間学級がある。正式には大阪市立天王寺中学校夜間学級という。歴史は1969年にさかのぼり、大阪で一番最初にできた夜間中学校として知られている。(写真は「夜間中学生の像」。天王寺中学校夜間学級のホームページより)

大阪市教育委員会のホームページを見ると、

中学校夜間学級への入学について
 大阪市立の4つの中学校(天満・天王寺・文の里・東生野)には、義務教育の年齢(満15歳)を越えており、中学校を卒業していない方で入学を希望する方に対して、夜間学級を設置しています。
 授業は、月曜日から金曜日の17時30分から21時までです(学校によって始業時間が多少異なります)。学習内容は、昼間と同じで、国語・社会などの9教科と道徳・特別活動などです。修業年限は3年間を原則とし、中学校の卒業証書をもらうことができます。
生徒募集は、平成25年12月2日(月曜日)から平成26年4月30日(水曜日)まで行っています。受付時間は、16時から19時までです(土・日・祝を除く)。

 詳しくは、各学校あるいは教育委員会におたずねください。

●夜間学級設置中学校の所在地(電話番号)
天満中学校 大阪市北区神山町12-9 (06-6312-8462)
天王寺中学校 大阪市天王寺区北河堀町6-20 (06-6771-2757)
文の里中学校 大阪市阿倍野区美章園1-5-52 (06-6621-0790)
東生野中学校 大阪市生野区新今里7-9-25 (06-6752-2889)

●手続きおよび必要な書類等
各中学校に、住民票の写しまたは外国人登録原票記載事項証明書の写し、印鑑を持参し、直接手続きを行ってください。

とある。

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7月はじめに、天王寺夜間中学校の公開授業があると聞いて、参観させてもらった。
中学校の前に来ると、そばの駐車場にPTAらしい団体の人たちがみえる。
「お久しぶりです」と声をかけられてびっくりした。全国人権同和教育研究大会で知り合った、三重県の中学校の先生だった。
なんでも天王寺夜間中学校との交流が以前からあるという。PTAの役員さんたちも夜間中学校の見学に来ているというので、その取り組みに感心した。 

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大学生らしい若者の姿も見える。どこかの大学の先生が学生を連れて参観に来ているようだ。このように昼間の中学生、PTAの人、大学生と、夜間中学校との交流や参観に来る人たちが今も多い。

1階の廊下には「えんぴつポスター」が壁一面にはってあった。えんぴつポスターとは、左の写真の本の表紙のように、生徒さんの思いが書かれた短い作文のようなもの。左の本は、大阪市東生野中学校夜間学級の取り組みをまとめたもの(「やる気とか元気のでるえんぴつポスター」金 益見著 文藝春秋発行)で、多くの夜間中学校では同じような実践が行なわれている。

夜間中学校の授業は5時40分から一時間目が始まり、9時に4時間目が終わる。
家の仕事や会社などの職場での仕事を終えて、毎日9時まで勉強する。思うだけでも私は頭がさがる。
1時間目はカタカナを学んだばかりの教室を参観させてもらった。「ノルマ」や「リサイタル」という言葉の説明を、汗をかきながら先生はされていた。それはそうだろう。ノルマ、リサイタルについて何の予備知識のない人に説明するのは並大抵の苦労ではない。先生は何回も「○○さん、わかった?」「◎◎さん、わかった?」と確認されていた。ローマ字を学習しているクラス、因数分解の勉強をしているクラス、歌声の聞こえてくる音楽の授業などもあった。

2時間目も国語の授業を参観させてもらった。詩の授業ということで興味があった。
教材は工藤直子さんの詩「あいたくて」

 だれかに あいたくて
 なにかに あいたくて
 うまれて きた

 そんな きが するのだ けれど
 それが だれ なのか
 なに なのか
 あえるのは いつ なのか
 おつかいの とちゅうで
 まよって しまった
 こども みたい 
 とほうに くれて いる

 それでも ての なかに
 みえない ことづけを
 にぎりしめて いる ような
 きが するから
 それを てわたさなくちゃ
 だから
 
 あいたくて

 

教室の半分ずつ交代しながら詩の群読。
先生が詩を読みながら、生徒さんと一緒になって内容を考えていく。

「みえないことづけ、ってどこにあるの」
「ここにあるねんね」と胸をおさえる。
うなづく生徒さんたち。
こんなふうにやりとりをしながらこの詩の内容を深めていく。
「ことづけって、どういうことやろう」
「英語でいうほうがわかりやすかも。 そう、メッセージ」
「メッセージ、わかるわかる」とつぶやく生徒さん。

詩の内容がわかったあと、以前に学習したことを先生がまとめられたプリントが配られる。
それは
1.あたなが 今 いちばん会いたい人はだれですか?
2.それは なぜですか?
3.その人に会ったら、どんなことが言いたいですか?
という質問に生徒さんたちが書き綴ったものを先生が詩のような形式でまとめられたもの。

一人一人の作品を先生が読んでいく。
お父さんに会いたい、両親に会いたい、お母さんに会いたい、お姉さんに会いたい、外国にいるお母さんに会いたい、弟に会いたい、イギリスにいる娘に会いたい、、、先生自身が書いた生徒さんの背景をよくご存じなのだろう、声をかけながら、エピソードを紹介しながら読んでいく。
一番最後に70代後半の女性が「まごにあいたい」と書き、「おばあちゃんは しぬまで べんきょうしたいの がんばるよ」と書いた詩を紹介された。その女性は先生が読んだ後、「わたしは100まで生きて、勉強する」と言うと、生徒さんたちはうなずきながら自分の思いを話す人もいる。涙をふいている生徒さんもいる。
「学ぶことは生きること」という言葉を山田洋次監督の映画「学校」で知ったのだろうか。ふとその言葉を思い出す。
「勉強しているときは頭の中に全部入っているのに、帰ったらもうしんどくてしんどくて。次の日にはもう忘れているねん」と笑いながら言う生徒さん。
先生は、「夜間中学校の生徒さんはね、生きてきた時間の分だけ知恵が頭に入っているからね。大丈夫。自分の名前は忘れないでしょ。何回も何回も書いてきたから忘れないの。今の勉強もおんなじ」と笑いながらおっしゃる。みんなもそうそう、と笑っている。
暖かい空気の流れる教室。
夜間中学校の現実の厳しさと、でもそのなかでたくましく勉強をする生徒さん、それを支える先生たち、天王寺中学校夜間学級。

一緒に参加した仲間も「自分の学びをもっとつきつめていかなくては」とか「一生勉強という言葉が自分の励みになりました」などの感想を言っていた。

2時間の参観の後は、すっかり日が暮れていた。充実した夏の夕暮れ。
生徒さんと夜間中学校の先生たちはまだ2時間の授業がある。以前は補食として牛乳とパンがでていたが、知事が替わってそれもなくなり、大阪市内の中学校は今年から給食が実施されているのに夜間中学校にはない。苦労した人たちに生きがいを持ってもらうのが学校の役目のはずなのに、これはどうしたことだろう。
私たちはすがすがしい授業の後に、夜間中学校の置かれている現状に苦みを感じながら学校を後にし、阿倍野での夕食に向かった。

学校1

左は山田洋次監督が1993年に制作した映画「学校」のDVDの表。
ここでは夜間中学校が正面から取り上げられている。
この映画を見た人は多いと思う。
映画館で、中学校、高等学校の映画鑑賞で、そしてDVDレンタルでと。
映画「学校」によって、夜間中学校の認知度は高くなったと思う。
その意味で、この映画「学校」の果たした意味は非常に大きいと思う。
映画「学校」はシリーズ化し、「学校Ⅱ」は1996年に、「学校Ⅲ」は1998年に、そして最終の作品になった「十五才学校Ⅳ」は2000年に制作されている。
天王寺中学校夜間学級の見学後、久々に「学校」をレンタルして見た。
あらためて見ると、この映画が作られた時代を反映している。学校もそこで働く人も今よりも元気だ。今見ると、私にはちょっとお説教じみて見えるところもあるが、やっぱり目がうるうるしてしまう。さてこの映画に友情出演していた渥美清さん、渥美清さんの代表作の「男はつらいよシリーズ」に定時制高校が舞台になる映画がある。

寅次郎かもめ歌1

 シリーズ第26作「寅次郎かもめ歌」である。
観客動員数188万人という人気作だった。

松竹のホームページには、
「北海道江差市でテキヤ仲間、シッピンの常の死を知った寅さんは、奥尻島へ墓参りに行く。そこで常吉の娘・す みれ(伊藤蘭)と知り合い、定時制高校に通いたいという望みを叶えるために、柴又へ連れ帰る。
・・・(略)・・・
 元キャンディーズの伊藤蘭が、自分の境遇を乗り越えて、懸命に勉強をして、幸せをつかもうと努力をするマドンナ・すみれを好演。・・・・」とある。映画を見てみよう。

すみれは寅さんの妹夫婦のさくらとひろしの応援を得て、編入試験に向けて勉強をする。そして試験当日。定時制高校の近くの川にかかる橋の上で、すみれは立ち止まってしまう。 

寅   「どうしたんだよ いったい。 試験受けるのが怖いのか。」

すみれ 「寅さん わたしやめよかな。 だって どうせだめだもん。」

寅   「今頃そんなこと言って、どうすんだよ。
     ひろしだって、一生懸命勉強教えてくれたんだろ。」

すみれ 「わたしだめなの。
     だって中学2年の教科書もできないんだから。
     どうってことないもん 高校なんか出たって。」
    (橋の欄干から川をみていたすみれ、頭をさげ、下を向く)

寅   「すみれ、おまえ それでいいのか。本当にそれでいいのか?
     あの娘の親父は 大酒飲みで博打好きだ。
     親父がろくでなしだから 娘もぼんくらで、夜間の高校も入れやしない。
     おまえ、そうやって人に後ろ指を指されて、(すみれの腕を引っ張って)
     平気か?」

すみれ (寅さんを見てだまってくびをふる)

寅   「だろう、 な。」(肩を抱いて学校に向かう)

育った環境、親の学歴、出自、経済的環境、様々な要因が自分の進みたい進路の前に立ちふさがってくる。あまりの壁の高さに呆然とすることも多い。でもそんな時に、厳しい言葉で励まし、背中を押してくれる存在がどれだけありがたいことか。
壁を乗り越えて、一つ高みに登った時、これまでと違った人生が見えてくる喜びを子どもたちに味あわせたい、そんな願いが伝わってくるのが、映画「学校」であり、「寅次郎かもめ歌」である。(「学校」と「寅次郎かもめ歌」の写真は松竹のホームページより)

映画「学校」は1993年の作品、「寅次郎かもめ歌」は1988年の作品である。
参観させてもらった天王寺中学校夜間学級で学ぶ生徒さんの姿は、これらの映画と全くと言っていいほど違っていない。
日本の社会は夜間中学校、定時制高校で学ぶ人達のことをどれだけ視野に入れているのだろう。
私は機会を見つけては、夜間中学校の参観することをすすめている。
参観するたびに思う。「夜間中学校は学びの原点」だと。

 

 

☆このブログを書くためにインターネットを調べていると、工藤直子さんの「あいたくて」を、平原綾香さんが曲をつけて歌っているのを、YouTubeで発見した。アドレスを書いておく。

https://www.youtube.com/watch?v=TpQc0LNzF74 

 

 

 

誕生日を知らない女の子

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最近読んで、考えこんでしまった本。

「誕生日を知らない女 の子―虐待-その後 の子どもたち」
  黒川祥子著
  集英社発行

新聞の書評欄でこの本のことを知ったので、図書館に予約した。私の後ろにも50人の人がこの本を待っている。

読みながら自分が知らないことがこんなにたくさんあるのか、と思いながら付箋をはっていった。
その結果がこの写真。

多くの人に読よんでほしい本、といってもいい。とりわけ子どもの教育に関係する人は読むべき、と私は思う。
目次を見てみよう。

 はじめに
 第一章 美由 ー 壁になっていた女の子
   第二章 雅人 ー カーテンのお部屋
 第三章 拓海 ー 「大人になるって、つらいことだろう」
 第四章 明日香 ー 「奴隷でもいいから、帰りたい」
 第五章 沙織 ー 「無条件に愛せますか」
 おわりに
 参考文献

「はじめに」を読み始めて、知らないことが多すぎる、と思った。
第一章から第四章は、ファミリーホームで生活する子ども、第五章は大人になった被虐待児が母親になってからの取材が中心になっている。
ここには本の詳しい内容は書かない。
自分で読んで、考えていく本だと思う。

ここでは、私が全く知らなかったことを書いてみたい。
「社会的養護」という言葉。

本には多くのデータが紹介されているが、インターネット上に厚生労働省の「社会的養護の現状」(平成26年3月)があったので、そのデータをもとに表にしてみた。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/syakaiteki_yougo/dl/yougo_genjou_01.pdf 

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 「保護者のない児童、被虐待児など家庭環境上養護を必要とする児童などに対し、公的な責任として、社会的に養護を行う。対象児童は、約4万6千人」と説明があった。
里親、ファミリーホーム、は「家庭養護」と分類され、それ以外は「施設養護」といわれる。しかし、施設養護の中でも、家庭的な環境での養護を追求した「グループホーム(地域小規模児童養護施設)」「小規模グループケア」は「家庭的養護」と言われている。

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圧倒的に施設養護の子どもたちが多い。国は家庭養護、家庭的養護の比率を高めていく方向だ。
この本で私がメモしたことは、
第一章では、「乖離」「居場所」
第二章では、「愛着障害」「虐待と発達障害の関係」
第三章では、「被虐待児の学校などでの受け入れ体制」
第四章では、「親の子への愛が無償というが、子の親への愛が無償なのではないか」
第五章では、「育児に自分の体験がフラッシュバックするという悲劇」

障害児の増加

この表は、先ほど紹介した厚生労働省の資料からとったもの。
「社会的養護を必要とする児童においては、障害等のある児童が増加しており、児童養護施設においては23.4%が、障害ありとなっている」と書かれている。
「誕生日を知らない女の子」によると、
―「杉山医師は「あいち小児」の臨床で、生まれつき発達障害でなくても、虐待を受けることで発達障害のような状態を呈するということを「発見」した。その「発見」の上に立ち、子ども虐待を「第四の発達障害」と位置づける。
それは虐待により大脳の様々な領域に機能障害が引き起こされることで、不注意で行動のコントロールが困難という「ADHD」的な行動や、先の見通しを立てることが難しく、その場しのぎの行動に出るなど、一見「広汎性発達障害」のように見えることもあるという。
虐待は「障害」という深刻なダメージを子どもにもたらすのだと知って、驚きだった。心の傷に軟膏を塗れば一件落着という、これまでの自分の甘い認識がくずれ、立ちすくむような思いだった。
何よりも驚いたのは、虐待は脳全体の成長に影響をおよぼすということだ。それが脳画像診断によって明確に確認されると聞いた時には、耳を疑った。

そのメカニズムについて、杉山医師は著書「発達障害のいま」でこう述べる。
「進化論的に考えてみると、子どもが愛着形成に大きな問題を生じる環境とは、サバイバルが厳しい、過酷なものがある。すると共感性など発達させていては生き残っていけない。そこで、おそらくホルモン動態などの変化によるエピジェネティクス(遺伝子の配列を変えずに遺伝情報の活性に変化を引き起こす過程)が生じ、いくつかの遺伝子のスイッチが入って、脳の器質的な変化が生じるのであろう」
子どもへの虐待そのものが、子どもの脳に器質的な変化を与え、広範な育ちの障害をもたらし、発達障害と言わざるをえない状態を作り出すー。虐待とはどれだけ残酷で過酷な結果をもたらすのだろう。(P104)」―

「虐待は子どもの脳に器質的な変化をもたらし、画像診断でもわかる」ということを知って、大変なショックだった。

ではどういう理由で子どもたちは社会的養護を受けるようになったのだろう。その理由も同じ資料にあった。 措置の理由1「父母の虐待」「父母の放任怠惰」「父母の養育拒否」「父母の精神障害」「父母の拘禁」など文字と数字だけを見てみると、なんと親の身勝手さ、と思ってしまう。

さらに「誕生日を知らない女の子」によると、
―「2013年7月25日発表の厚生労働省のデータによれば、2011年度、虐待により死亡した子どもは99人、そのうち、心中を除くものが58人、その前年度は98人の子どもがなくなり、心中以外の数は51人。虐待の末に多くの子どもが殺されているのも紛れもない事実だ。」―

もうため息しか出てこない。
この子どもたちに救いはあるのか。

その取り組みをすすめているのが、社会的養護で努力されている人々と関係の機関。
この本では「家庭養護」の取り組み、ファミリーホームの努力が丁寧に書かれている。読んでいて頭がさがる。
読んでいて私の心に残った言葉、
◎「虐待被害に遭いながらも、良い施設や里親さんに恵まれて、治療も進んだ、自分 の努力でがんばってちゃんと生きている人もいっぱいます」
◎「希望へと向かう「分かれ道」は、どこにあるのか。
 この里親の女性が明快に応えた。
 「根っこが張れる場所が、あるかどうか」
 根っこ、それは存在の根幹だ。信頼できる人間に包まれる。安心できる場所。それ こそ「本来の家庭」だ。
◎「子どもには希望がある。この子たち、たくさん夢がつまっているの。どんな子で も希望があり、輝かせるものをいっぱい持っている。それを大人がつぶしてはいけ ない。輝かせることができるかできないかは、大人の責任」
◎ある男性指導員は、児童養護施設はこんな場所であってほしいと話す。
 「僕が実家に帰るのと同じように、嫌なことがあってもここに帰ってくれば安心な んだ、と感じ取れる場所にしてあげたい。人に頼れる、人が裏切らない。人が自分 の見方になってくれることを体験できる場所でありたい。見守ってくれる大人が入 ることを感じ、困ったときに『助けてね』といえる子になるのが一番だと思ってい ます。」
◎主治医から言われた言葉が忘れられない。
「五歳までに受けた傷であれば、意識の中ですり替えることができます。まさとくんに 楽しい思い出をこれから一緒に作ってあげて、大きくなった時に、「あの時、沢井 さん(里親さんのこと)と楽しかったね」と、たくさん言えるようにしてあげてく ださい」

読んでいて胸のつまる思いもしたが、そこで必死に生きる子どもたち、そして子どもたちに手をさしのべる大人たちがいることにはげまされる。
私はいったい何をしてきたのか、何ができるのか。考えこんでしまうだけではいけない、と今は思う。