カナダ・赤毛のアンツアー 16

 

大地2

この写真は日本の観測衛星「だいち」が撮影したもの(2006年9月28日16時02分頃・世界標準時)。
おどろきましたね、JAXAはプリンスエドワード島の写真をとっているのだ。
この写真の解説は以下のとおり。JAXAには赤毛のアンのファンがきっといるのだ、と思う。

「図2は赤毛のアンの舞台となったキャベンディッシュ村周辺を拡大したものです。海岸線に打ち寄せる波が濁った水を連ねて生じさせていることから、砂浜が続 いていることが分かります。パッチワーク状に開墾(かいこん)された畑地は作付けされた穀物(こくもつ)の種類や生育状態の違いによって緑の濃さが違って いますが、刈り取られた畑地はいずこも赤土の色を呈(てい)しています。
 「赤毛のアン」は1908年に出版され、アンの11歳から16歳までを描いています。画像中央のニュー・ロンドン湾の周りがモンゴメリの暮らしたところ です。1874年にモンゴメリが生まれた家は湾の南側、ニュー・ロンドン村にあり、現在モンゴメリ博物館になっています。
 モンゴメリは1歳9ヶ月で母に先立たれ、湾の東のキャベンディッシュ村で、モンゴメリの祖父母に引き取られて育ちました。そこには「赤毛のアン」の舞台 である「グリーン・ゲイブルズ」、「恋人の小径」、「お化けの森」、「輝く湖水」など作品に登場する場所が残されています。
 湾の西に位置するパーク・コーナーにはモンゴメリの第二の我が家であるキャンベル家の農場があります。そこは母方の叔母の家で「銀の森屋敷」と呼ばれ、 モンゴメリが1911年に、象牙色のドレスとベールを身にまとい、白い薔薇とすずらんのブーケを 持って、結婚式をあげたところです。現在、屋敷の一部を博物館として公開し、当時のオルガンや家具など「赤毛のアン」の時代の生活ぶりを見ることができま す。また、湾の西にはシリーズ第5作「アンの夢の家」のモデルとなった家が残っています。ここはアンが結婚してフォア・ウィンズという漁村で所帯をもった 舞台です。
 映画「赤毛のアン」ではアンが汽車でアヴォンリーへ到着し、馬車に乗ってグリーン・ゲイブルズへ向かいます。映画に出てくる道路はいずこも赤土でした が、現在はほとんどが舗装されて白く見えています。しかし、図をよく見ると、所々に赤土の道路が残っているのが見えます。一方、プリンス・エドワード島の 鉄道建設は1871年に決定し、島を縦断するよう本線が設置された後、全ての村を結ぶよう支線が縦横に交差して建設されましたが、コストが計画を大幅に上 回ったため1989年に廃止となり、現在はコンフェデレーション・トレイルとなって、ハイキングやサイクリングに利用されています。」

すごいですね、並の観光パンフレット顔負けの素晴らしい説明です。この写真ののっているアドレスは以下のとおり。

http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2007/tp070905.html

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ここがモンゴメリさんのお母さんの妹・アニーおばさんが嫁いだキャンベル家。赤毛のアン博物館として公開されている。
1911年の春、介護してきた祖母が亡くなる(モンゴメリさん36歳)。モンゴメリさんが住んでいたマクニール家の屋敷と土地は叔父が相続し、モンゴメリさんは叔母の住むキャンベル家で暮らすようになる。

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その年の7月にモンゴメリさんは婚約していたユーアン・マクドナルト牧師と結婚をする。暖炉の前にたち(左の写真)神に愛を誓ったという。
結婚式は新婦の家で挙げるしきたりであったが、両親とも他界し、祖父母も逝去しているモンゴメリさんのために、アニー叔母さんが支度をしてくれたのだ。結婚した後、里帰りはマクニール家ではなく、叔母のいるキャンベル家であったそうだ。この博物館には、モンゴメリさんの手になるキルト、レース編みなどが展示されている。今も演奏できるオルガンや立派な薪ストーブなど当時の生活を知る資料も多くあった。 

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          左の写真は、食器の入ったガラス窓のついたケース。

「赤毛のアン」にアンがガラスに映る自分にケイティと名前をつけて空想の友だちを作る場面があるが、モンゴメリさんも同じような体験をしたという話をきいた。

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なるほど、薪ストーブはこんな作りになっているのか、本当に暖かかった。

ワンダフルな馬にひかれて、馬車体験。 マリラはこんな馬を操って、馬車で移動したのかなあ。

アンの世界がぐっと身近になる場所だ。

 

 

 

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