十月花形歌舞伎 2

IMG_4871夜の部は、通し狂言「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」。
団七九郎兵衛を片岡愛之助さん、その妻お梶を中村壱太郎(かずたろう)さん、一寸徳兵衛を中村亀鶴(きかく)さん、玉島磯之丞を坂東薪車(しんしゃ)さん、傾城琴浦(ことうら)を坂東新悟(しんご)さん、釣船三婦(つりふねさぶ)を昼の部で幻術士果心を演じた中村翫雀(かんじゃく)さんという顔ぶれ。

私はこの「夏祭浪花鑑」は、大阪城西の丸公園であった平成中村座(2010年)での公演で、中村勘九郎(当時)さんの団七九郎兵衛を見ている。この時、太田房江大阪府知事が観劇に来ていて、舞台中なのに勘九郎さんからの紹介があり、「大田知事が来ている」と会場は盛り上がった。私も一緒に知事に拍手を送った。
この時の演出はラストに舞台の後ろの壁がなくなるというサプライズがあった。

IMG_20131011_0002

この「夏祭浪花鑑」は1745年に大阪竹本座で人形浄瑠璃として初演されている。大阪が舞台で上演頻度が高い任侠物である。
番付の森西真弓さんの解説がおもしろい。

「熱気や活気を感じさせる『夏祭』と手本や模範を意味する『鑑』を『浪花』で結んだ勢いのあるタイトル。すなわち浪花の夏祭を背景に立派な大阪人を描いた、と言いたいところなのだが、実はこの芝居には『鑑』になろうとしながらも、途中で挫折してしまう男を主人公にしている」
「団七は恩人の息子を世話することで男を上げようとした。芝居を見ていただければ分かる通り、助けるに値する人物とは思えないのだが(玉島磯之丞ー坂東薪車)、この際、それは別問題で、受けた恩に報いる団七の行為にこそ意味があった。けれども、そこには苦難が伴い、ついには舅を手に掛けるという大罪まで犯すことになる。初めに記したように段七は『鑑』になることを目指しながら、却って罪人になってしまった」
「ではなぜ、団七はそこまでしたのか。武士でも裕福でもない一人の若者が他人から誉められるようになるには、自らの生き方を律し、人格者として呼ばれるしか方法がなかったからだ。大阪は商都であり、町人の街だったから、他のどこよりも人柄で信用や信頼を獲得しようとした」この解説をうなづきながら読んだ。

さて、団七といい昼の部の与兵衛といい、こんな役柄に愛之助さんはぴったりだ。眉を八の字にしがんばるのだが思うようにならない役、悲壮感を大阪弁が助ける。思わずハラハラしながら見てしまう団七愛之助。
舅の義平次を演じる嵐橘三郎(あらしきつさぶろう)さんが舅殺しの場面をひきしめる。中村亀鶴さんの一寸徳兵衛が団七の義兄弟の契りを貫き通す姿も緊張して見てしまう。
耳にかけた数珠を引きちぎり啖呵を切る釣船三婦を演じる翫雀さんは昼の部とは違った派手な立ち回り、離縁状を渡された団七の妻お梶の中村壱太郎さんの戸惑う姿がいじらしい。大詰の大屋根の場では派手な立ち回り。鳴り物の太鼓が鳴り、十手・はしご・六尺棒を持った捕手との歌舞伎ならではの大捕り物のオンパレード。
若い役者さんだから昼夜ぶっ通しでこんな派手な立ち回りができるのだろうと感心するばかり。
IMG_20131011_0001団七が花道を駆け去る姿を見送る徳兵衛、釣船三婦、お梶達の「俺も因果・・・・」が最後のセリフで幕。
昼と夜を『因果』でたばねる十月花形歌舞伎だった。

ところで番付の森西真弓さんによると、江戸時代の役者たちは演ずるに当たってその土地柄とそこで暮らす人々を分析したそうだ
それによると大阪は、「理非を正して男を立てる気持ち」「男を磨く気質」だったそうだ。さてさて、今の大阪は江戸時代の大阪とと比べてどうか?

そんなことを考えるにもいい歌舞伎だった。

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA