映画「風立ちぬ」と計算尺3

生きねば。

IMG_20131021_0006 抗生物質のなかった1930年代は、結核は不治の病と言われていた(ストレプトマイシンが作られたのは1944年)。菜穂子の高原病院へ行くというのは、「大気安静療法」といって、栄養を取ってきれいな空気を吸って安静にすることであった。現在では抗生物質を使うことにより完治できる(残念ながら日本での発病は今もある)病気となり、「ピクチャーブライド」の時のような、結核に対する偏見は全くと言っていいほどなくなった。しかしこの時代では、日光浴と栄養補給が治療方法だったのである。確かにビタミンD、ビタミンCが効果的であるというデータもあるようだ。
IMG_20131021_0004二郎は菜穂子の発病を聞くとすぐに菜穂子の家に出発する。汽車のデッキで涙を流しながら計算尺を使って仕事を続けながらも急ぐ。結核を発病することは死を意味することが常識であった時代だったのだ。

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二郎は仕事に疲れて帰ってきて布団に倒れこむように眠る。菜穂子がそっと二郎のメガネをとってやり、自分の身を起こして布団を丁寧に丁寧に二郎に掛けてやる。一言の台詞もないが、菜穂子のゆっくりとした丁寧な仕草に二郎への思いとこれからの二人の将来を暗示するような感じがした。
70歳を越える宮崎監督が、青春まっただ中でしかも初々しい姿を描くのに感心した。自分自身が宮崎監督の年齢になったとき、同じような感性が持てるだろうか、人間の輝いている瞬間を人に伝えるような力を持てているだろうか。

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白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は昇っていく
何もおそれない、そして舞い上がる
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
・・・・・・・
荒井由実の「ひこうき雲」がラストを締める。

松任谷由実さんはインタビューでこんなふうに答えている。
「映画のキャッチコピーが「生きねば。」でしょう。「ひこうき雲」は私にとってレクイエム(鎮魂歌)ですが、レクイエムって生きていく者たちに力を与えるものだと思うんです。それでよかったんだって思うことで次に進める。映画もまさにレクイエム的な終わり方。観客も作り手もまだまだ人生は続くんだっていう反転したポジティブで終わっていく。自分の曲だけど、ラストにふさわしいと思えたのはそこなんです。帰結に役立ったかもしれないと思うとすごくうれしかったです。」(2013年8月6日 読売新聞)

*次は計算尺そのものについて書いてみたいと思っている。
*写真は、「徳間アニメ絵本 風立ちぬ」より。

 

 

 

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