三角点についての本と映画「剱岳 点の記」

点の記剱岳 三角点、といえば欠かすことのできないのが「剱岳」。
映画「劔岳 点の記」(監督 木村大作 主演 浅野忠信・香川照之等)と小説「劔岳 <点の記>(新田次郎作 文春文庫)によって、測量の計り知れない苦労と大自然の威容を想像することが出来た。
小説「剱岳 <点の記>」の冒頭に三角点について、
「点の記とは三角設置の記録である。一等三角点の記、二等三角点の記、三等三角点の記の三種類がある。三角点標石埋定の年月日及び人名、覘標(てんぴょう−測量用やぐら)建設の年月日及び人名、測量観測の年月日及び人名の他、その三角点に至る道順、人夫賃、宿泊設備、飲料水等の必要事項を集録したものであり、明治二十一年以来の記録は永久保存資料として国土地理院に保管されている。なお一般に点の記というと三角点についての記録であるが、多角点、水準点、磁気等の測量標にも点の記が残されている。」と書かれている。
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測量の本を読んでいて、三角点の標石については書かれているが、実際の測量はどうするのだろう、というのが疑問だった。測量用やぐらを作るとか、やぐらが見えないときはやぐらの上にライトをつけたとか、鏡で太陽光線を反射させてその光で位置を知ったとか書かれていたが、その理解に役立ったのがこの映画「剱岳 <点の記.>」と本(「もうひとつの剱岳 点の記」山と渓谷社,「明治の地図の物語 地図を作った男たち」山岡光治著 原書房)だった。

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この「地図をつくった男たち」の表紙の写真は、台湾新高山(玉山)山頂での一等三角測量隊(大正8年)のもの。こんな大きなやぐらを作るのだ。この「地図をつくった男たち」には、「測量観測のためには、目標となる櫓を設置しなければならない。一等三角点・点の記にその記載のあった630点の平均の高さは、7.5m、最も高いものは21.6mもあった。高山地ではこのような高い櫓を建設することはないにしろ、日本中の三角点に所用の木材を運搬したことはたしかである」と書かれている。

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下の写真は、映画作成に関わっての本「もうひとつの剱岳 点の記」から取ったもの。映画の一場面なのでその量感がよくわかる。こんな所にこんな大きなものを、というのが私の感想。この映画では材木の加工、運搬、標柱作成の場面もあって、測量に関わっての仕事が視覚的に理解できた。これが映画の利点。
小説「剱岳 <点の記>」にはこんなふうに説明されている。
「(p156)覘標(てんぴょう)は三角点の標石の上に建てられる測量用の楼(やぐら)のことである。末口一寸六分(4.8cm)、長さ十八尺(5.45m)の杉の木材四本を使って高さ4メートル60センチの紡錘形の楼を組み上げて、この上部を経緯儀で覗いて、水平角、高度等を観測するためのものである。最長部に心釘と称する釘を立て、その下に心柱と呼ぶ30センチ角の二個の木を組み合わせる。心柱の下方は黒く塗る。この部分が、はめこみになっていて、工作技術上最もむずかしいところである。心柱から下は四本の柱を安定させるために薄板を四段階に分けて柱に打ちつける。柱の根は根かせ杭を打ちつけて深く地中に埋める。・・・略・・・ 覘標は大体二十数ヶ所作る予定だった。」 この場面が映画にもあり、やぐらづくりや観測の様子がよくわかる。

IMG_1981 この「もうひとつの剱岳 点の記」の表紙は、映画からであるが荷物を担いで三角点設置予定地に向かう姿が載せられている。ただ人力だけで多くの荷物を持って2000m級の山々を登っていき、三角点を設置していったのだ。日本の高い山のほとんどは陸地測量部(後の国土地理院)によって初めて登られたと言われている。またこの本には、映画作成のことだけでなく、測量隊の仕事や山岳信仰の事も書いてあった。
映画と小説とによって具体的にイメージできたといってよい。
剱岳の登頂には不明なところがあると言われている。それが新田次郎さんの本や映画「剱岳 点の記」の制作に知らず知らずのうちに影響を与えていると思う。私は柴崎芳太郎測量官の名前をこの間の読書や映画で知った。柴崎芳太郎さんによって、測量や登山に魅された人は多いと思う。
現在の考えで当時の人々の生き方や考え方を100%理解することは出来ない。
ただ言えるのは、柴崎芳太郎さんたちの測量官や名前が記録に残っていない多くの人々によって、日本の地図が出来上がっているのは間違いない。

 

 

 

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