7月大歌舞伎 その2

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さて三つの演目について簡単に紹介しておこう。
そうそう、一幕目の休憩時に二階正面入口付近で片岡仁左衛門の夫人である博江さんを発見。片岡仁左衛門と博江さんは小学校1年の時に同級生だったとか。45年以上の絆が羨ましい。

曽我兄弟はスーパースターだった

曽我物語(そがものがたり)は、曽我兄弟の仇討物語として有名なもの。今回の岡本綺堂作の曽我物語は大正十年(1921年)のもの。多くは五郎十郎に焦点を当てて作られているが、この作品は長兄の京小次郎をメインにした物語。もっとも四人の俳優の顔合わせのため、という公演事情が背景にあったらしい。曾我兄弟の仇討ちがモチーフになったものは300はあると言われている。番付に書かれていたように、曽我兄弟はスーパースターだったのだ。

これがプロの芸 片岡仁左衛門と中村福助

一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)で大蔵卿を演じる片岡仁左衛門を見るだけでも来た甲斐があった。 源氏再興を願っていることを阿呆のふりをして世間の目を欺いている大蔵卿の変化が素晴らしい。 貴族で世間知らずで鷹揚な大蔵卿の所作は思わず笑わずにいられない。それが敵を薙刀で切ってあらわれる大蔵卿は颯爽としている。
このとき、装束も化粧もなにも変わっていない。全く同じ姿形。それが顔の表情、手足の動き、声の調子で全くの別の人格として登場してくる。
10㍍以上?も離れている二階席からそれがわかる。テレビや映画ならアップして視聴者にわからせることは容易だが、ここは松竹座の舞台。この空間で演じ分ける芸がプロの芸なんだなあと感心した。人の前にたって話す機会の多い人には是非とも見てほしい演技だと思った。

杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)は鶴屋南北の作品(1815年初演)。悪婆(あくば)のお六を演じる中村福助はもうはまり役。私はそんなに多くの歌舞伎を見たことがあるわけではないが、中村福助の演じるお六は目を離すことが出来なかった。身のこなし、表情、これもプロの芸なんだなあと思う。江戸時代の人々が歌舞伎に夢中になり、歌舞伎役者の浮世絵が飛ぶように売れたというのが想像できる。

歌舞伎はタイムマシン

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写真は江戸東京博物館の両国橋西詰の模型。今回の歌舞伎、杜若艶色紫は舞台が両国。芝居小屋が立ち並ぶ舞台はこの模型のよう。舞台の芝居小屋にはへびむすめ、かるわざの幟があがっている。中村福助演じるお六はへびつかい。お六の亭主伝兵衛の弟、金五郎が身請けしたいと思っているのが軽業師の小三(こさん)。幼くして離れ離れになったお六の妹が、萬寿屋の遊女八つ橋。そして悪役の修行僧の願哲。江戸時代の非差別民衆の姿がここにある。
私が歌舞伎に興味をもつようになったのは、昨年6月に亡くなった中尾健次さん(大阪教育大教授、リバティ大阪館長)のおかげ。中尾健次さんとは数回おしゃべりの場に一緒に居させてもらったことがある。有能な研究者だけでなく、いつも自分の研究を学校での授業に活かすための工夫に惜しみなくエネルギーを注ぐ人だった。本当に惜しい人を亡くした。中尾健次さんは歌舞伎には江戸時代の生活がそっくりそのまま保存されていると言われていた。庶民の生活、文化、物売りなどの江戸時代の行商、人間関係、当時の価値観、身分制度などなどが江戸時代と変わることなく舞台芸として残されていると。
今回杜若艶色紫では、萬寿屋の裏手に非人小屋がでてくる。間違って殺される非人も出てくる。
私がびっくりしたのは、台詞では乞食が殺された、となっているが、イヤホンガイドできちんと非人の説明があったこと。士農工商という身分よりもさらに低い身分という説明があった。無視することなく、きちっとガイドに入れた松竹座に感心した。
作者の鶴屋南北は、市井風俗を写実的に描写し、その中で人間の心の闇を描くことに長けていたと言われている。この作品は文化文政の時代に作られた作品。太平ながらも徳川幕府が衰退していく時代。その退廃感がなんとなく感じられる演目だった。
歌舞伎は江戸時代に私達を連れて行ってくれるタイムマシンのようだと感じた。

 

 

 

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