ワン・ヴォイス ONE VOICE

ワン・ヴォイス2 この映画はジェット・リーがノーギャラで出演したといわれている「海洋天堂」を見た時の予告編で知り、見たいなあと思いながら見れていない映画。ハワイを知るために見ようとDVDを探した。
映画の内容は、ビデオ紹介によると「ハワイ、オアフ島で創立120年を誇る伝統校“カメハメハ・スクール”。ハワイアンの血を引く子どもたちが通うこの名門校では、毎年3月に“ハワイアン・スクール・ソング・コンテスト”という合唱コンクールが開催される。9~12年生の約2,000人もの生徒が学年ごとに分かれ、課題曲はすべてハワイ語で歌い、そのハーモニーを競いあうのだ。本作は学年ごとにリーダーとして選ばれた生徒たちとその家族を中心に、指導者である教師やミュージシャンらのインタビューも交えながら、1年がかりで猛練習に励む姿を追った愛と感動に満ちた物語である。・・・」紹介はさらに続くがこのへんで。文章で知るよりも映像で知ったほうがいいと思える映画だから。
ところがこのDVDが見つからない。TSUTAYAオンラインではヒットするが、どこの店にあるのかわからない。近くのTSUTAYAで聞いても「どこの店にあるのかはここでもわかりません。店を指定してあるかないかはわかるのですが、、」ということで日本全国の店を一店づつ検索しなければならないのか、とあきらめる。宅配レンタルしようと思いたち楽天の宅配レンタルが出来たのでオーダー。直ぐに送ってきた。

映画は見てよかった! ハワイアンとしてのアイデンティティを守り育てている闘いがここにある。
うん?! 最後に流れる曲は「涙そうそう」にそっくり?!
調べてみると、「涙そうそう」をカバーし、全米で大ヒットしたハワイを代表するアーティスト、ケアリイ・レイシェルの「カ・ノホナ・ピリ・カイ」とわかる。そうなのか~、さっそくそのCDを手に入れる。

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CDに入っている解説で、今井栄一さんという人がこの曲について書いている。少し長いがそこからの引用が下記。
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マウイ島ワイルクにあるベイリーズ博物館の中庭で、ケアリイ・レイシェルとビギンの3人が語り合っている。2004年秋の、よく晴れた午後。
「ぼくらはずっとケアリイさんの歌が好きで、大ファンだったので、ケアリさんがぼくらの歌を歌ってくれるとわかったときには本当にびっくりしたし、嬉しかったんですよ。すごく光栄でした」とビギンのボーカルである比嘉栄昇がケアリイさんに打ち明ける。
「ケアリさんが歌う『カ・ノホナ・ピリ・カイ』を聴いたとき、実は最初、ぼくらの歌だとは思わなかったんですよ。ぼくらが歌う『涙そうそう』とケアリイさんのその歌は、確かに元のメロディは同じものかもしれないけれど、一方でまったく別の歌であると思ったんですね。
ぼくはこう思うんですよ。もしこの歌を最初に作ったのがケアリイさんだったら、きっとぼくらがカバーしただろうな、って。この歌が沖縄で生まれてなかったら、きっとハワイで生まれていたんだろうなと思うんです。
ぼくらが作ったときはこの歌は、まだ小さな赤ちゃんでした。それが沖縄を旅立って、太平洋を旅して、ケアリイさんに歌ってもらってハワイの人々に聴いていただいて、愛されて、ああぼくたちが作った歌はこんなに成長したんだなぁって。だから、なんがか今は育つ子を見る思いというか・・・(笑)」。
ケアリイはその言葉に対して恐縮しながら、一方でとても喜びながら、自分自身が「涙そうそう」を初めて耳にしたときの驚きについてビギンに説明した。
IMG_20130702_0002 「3年ほど前、コンサートのために日本に滞在しているとき、私は偶然ビギンが歌う「涙そうそう」をテレビ画面で見たんです。そのメロディに、私は文字通り釘付けになりました。この素晴らしい歌を歌っているこの3人組は誰なんだろう?と思いましたが、結局そのとき私はビギンのことを知ることはできず、その歌の鮮烈な印象だけが心に残りました。それから1年ほど後、私は日本からハワイへ戻る飛行機の機内放送で再び「涙そうそう」を聴いたんです。まったくの偶然でした。ヘッドフォンをしてまどろんでいる最中に突然耳に飛び込んできて、瞬間に飛び起きました。機内誌を開くと、それはビギンというグループの曲だとわかってんです」。
ケアリイはその頃ちょうど、ニューアルバムの構想を練っていた。直感的に彼は、ビギンのその曲「涙そうそう」を自分の曲として歌うことが重要であること、そのカバーソングがニューアルバムの核を成すであろうことを感じっ取っていたという。
ケアリイはビギンの曲を使って自分の歌を作りたいと瞬時に思ったのだが、それは容易なことではなかった。実際、「カ・ノホナ・ピリ・カイ」が完成するまで、それからさらに1年以上が費やされたのだから。「わたしは、いったいどのようにすればよいのか。どうするべきなのか、それがわかるまでゆっくり慎重に待ちました。そう、まるで果物がその実を熟するまで待つように」とケアリイはビギンの3人に向かって語った。
「ビギンが作ったこの素晴らしい曲「涙そうそう」を、私はただカバーしたいと思っていたわけではないんです。そこから私は、私自身の歌が現れるのをじっと待ちました。「涙そうそう」を聴いたときから私は感じていたのです。そこには何か私に歌われるべき別の物語がある、と、私は待ち、それから作業を始めましたが、作業も困難を極めました。様々な変換やアレンジを試しました。でも、私は心の声が言うままに従い、そうやって「カ・ノホナ・ピリ・カイ」は完成したのです。」

2004年のナ・ホク・アワードで「年間最優勝賞」を贈られたケアリイの「カ・ノホナ・ピリ・カイ」。この曲が、ビギンとケアリイ・レイシェルを出逢わせたのだった。昨年秋のことで、僕は幸運にも通訳のようた立場でその場に一緒にいた。・・・(略)・・・もうひとつだけ、ここに記述しておきたいことがある。

スクリーンショット 2013-07-02 13.55.19 ケアリイとビギンの3人が語り合い、彼らの言葉をそれぞれ英語に、日本語にと僕は訳していた。ある話を彼らがしているとき、不覚にも僕は涙を流してしまったのだ。ビギンの比嘉栄昇が、自分たちの「涙そうそう」についてこう語ったときのことだった。 「沖縄には辛い歴史、悲しい出来事がたくさんありました。沖縄ではそんな辛いことがある度に、いつも女性が苦労して我慢してきたんですね。僕らの母親の世代、おばあちゃんの世代、曾おばあちゃんの世代、女性がずっと我慢して来ました。「涙そうそう」は、そんな女性たちに、「おばあちゃん、おかあさん、もう我慢しなくていいんだよ。もう泣いてもいいんだよ」と歌っているんです」。 比嘉が島人らしい言い回しでこう話したとき、そしてそれを一字一句間違えないようにケアリイに向かって英訳している最中、僕の両目からは涙がこぼれて止まらなくなり、一瞬、言葉に詰まってしまった。ケアリイは優しい瞳で僕の方を一瞬見つめ、それからビギンの3人に顔を向け、真面目な顔で静かにこう応えたのだった。

「今、あなたの話を聞きながら私は鳥肌が立ちました。私が「カ・ノホナ・ピリ・カイ」という歌に込めたもののひとつが、まさに今あなたが言ったことだからです。ハワイの島々も、あなたの沖縄の島々も、どちらも辛く悲しい歴史を持っています。私たちも同じ島人です。ハワイでは「悲しくても泣いてはいけない。涙を人に見せてはいけない」という言葉があるのです。私には日本語がわかりませんが、初めて「涙そうそう」を聴いたときになぜ私があれほど揺さぶられたか、その理由が今はっきりとわかりました。私たちはどこかで、同じ思いを歌に込めていたんですね」。
ケアリイとビギンの3人は、ワイルクのベイリーズ博物館の中庭で長いあいだ言葉を交わしていた。・・・(略)・・・

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ハワイと沖縄が同じ思いを大切にしていたのだった。
歴史に学ぶことの必要性をあらためて感じた映画と歌だった。
(最後の写真は映画の予告編より)

 

 

 

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